セーラー服を最初に採用した学校は?
わたしの朧気な記憶では、福岡と京都が争っているという認識でした。
JKや制服に関するブログを書いていて調べていると、そうではないという情報に行き当たります。
その答えは、愛知の金城女学校(現・金城学院高校)です。
福岡か京都か
ある時期までは、福岡か京都か、という“争い”があったようです。
制服販売会社の研究室長が調査、福岡の福岡女学院(1921年(大正10年)12月)か、京都の平安高等女学校(1920年(大正9年)11月)という説が有力でした。
あれ、時期的には平安高等女学校(現在の平安女学院中学校・高校)の方が先なので、これで決まりなのでは?と考えてしまいます。
が、この2つの学校のセーラー服には違いがあり、セパレート型が福岡女学院、ワンピースなら平安女学院というダブルスタンダード説が生まれました。
これに異を唱えたのが、日本大学商学部の准教授で歴史学者の刑部芳則(おさかべよしのり)さん。
日本の高等女学校におけるセーラー服の起源を巡る議論を解決するため、刑部さんは綿密な調査を行ないました。
セーラー服の定義
セパレートかワンピースか。どちらかに定義せねば話は定まらない、とお考えになられたのでしょう。
刑部さんは、日本のセーラー服がイギリス海軍水兵のセーラー服を取り入れたこと、このセーラー服がセパレートであったことから、セパレートと定義し、京都説を退けました。
より多くの調査
刑部さんは、より多くの学校を調査されました。なんと約900校。
制服販売会社の研究室長が調査したのが15校、刑部さんはその60倍。
その結果、福岡女学院より先に、金城女学校が1921年9月にセーラー服を制定したことが明らかになりました。この発見により、金城女学校がセーラー服の起源校であるという記録が定着しました。
セーラー服の歴史
セーラー服を採用する動きは明治時代末期から大正時代にかけての服装改善運動の流れに沿っており、洋服を取り入れた高等女学校が増えた背景には、経済性や機能性とともに、生徒たちのデザインに対する好みが影響していました。一部の歴史学者は関東大震災が洋服普及のきっかけだとする説を唱えていましたが、刑部さんはそれは誤りであり、実際のところは震災以前に洋装化が進んでいたと指摘しています。
さらに、戦後の日本においてはセーラー服を軍服の名残と見なしてブレザーに移行する動きもあったものの、セーラー服は多くの学校で愛用され続けており、この歴史的校服は一部の伝統校において今日でも大切にされています。
刑部さんのこの重要な研究は、セーラー服に関するあいまいさを払拭し、日本の教育史における洋装化の具体的な軌跡を明確にしました。その結果として金城女学校が日本で初めてセーラー服を学校制服として採用した学校と認められています。

福岡女学院(制定当時)

平安女学院(制定当時)

金城女学校(制定当時)
制服グラムさんが、「セーラー服の歴史。女子学生への制服になった社会的背景等」というタイトルの記事を出しておられます。興味深いです。

この記事では、セーラー服の最初は
1920年代に横浜のフェリス女学院
とされています。
フェリス女学院のサイトで制服を紹介するページの文章の一部を引用しますと、
セーラー服がフェリス女学院の標準服として着用が推奨されたのは、1921(大正10)年のことです。関東大震災後に制服として正式決定され全員が着用するようになりました。
と書かれています。1921年の何月か、というのが微妙ですね。
刑部さんの調査は当然フェリス女学院も含んでいるでしょう。そのうえで「金城女学校が先」と確認されていることから、多分金城女学校が先なのでしょう。(想像ですけど)
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